Love After Life

浄土真宗本願寺派 白鳥山  康楽寺

販売価格 価格 ¥250,000 通常価格 単価  あたり 

税込

【善光寺のお膝元、女性の活躍するお寺 康楽寺】

長野県長野市東町にある、浄土真宗本願寺派のお寺です。
善光寺から続く趣深い街並みの中に溶け込み、その長い歴史の中では婦人会による女性の活躍が今なお続いています。

新型コロナウイルスの流行前までは、ご門徒による研修旅行(バスツアー)やお盆時期のキッズさんがなど、数々の催し物により交流の場を設けています。

中でも昭和31年から始まった長野市仏教婦人会では、初代会長を当時の康楽寺坊守 海野イサエさんが務めるなど、婦人会を中心とした動きを持っているのも特徴です。

 

【骨壷お迎えサービス】
お独り身の方や、ご遺骨の郵送(送骨)を頼める人がいない方はご利用ください。

・長野県内にお住まいの方:納骨料+22,000円(税込)
・本州にお住まいの方:納骨料+55,000円(税込)
・本州以外(北海道・四国・九州・沖縄)にお住まいの方:納骨料+77,000円(税込)

※契約書並びに契約カードをご遺族または行政に発見してもらいやすい場所に保管ください。連絡が無い場合、お亡くなり後すぐのお迎えが難しい場合がございます。

 

◆康楽寺の歴史

康楽寺は、西仏房浄寛を開基としています。西仏房は天養元年(1144年)に海野小太郎幸親の子として生まれ、幸長と名乗りました。木曽義仲に従っていましたが、義仲の死後は比叡山に登り慈円に学びました。やがて親鸞の弟子となり、小県郡海野庄に康楽寺を開創しました。この寺は戦国期に塩崎に移転し、塩崎康楽寺となりました。

現在の東町康楽寺は、建暦二年(1212年)に親鸞が越後から関東に移るとき、師法然の死を知り、草庵を結んで中陰法要を営んだ所と言われます。親鸞はここを報恩道場と名付け、善光寺に参詣するたびに止宿したとあります。

西仏房の三男浄宣がここに住み、寺号を広敬寺としました。戦国時代の永禄期には火災により全焼し、寛文五年(1665年)塩崎康楽寺が東本願寺に属したため、同年11月12日西本願寺から康楽寺の寺号を与えられました。

宝暦十一年(1761年)3月28日に出火し、堂宇・宝物等を焼失しました。現在本堂前にある「御災所」の碑は、この時の灰を葬ったものです。弘化四年(1847年)3月24日の善光寺大震災時にもことごとく焼失しました。現在の庫裡は、翌嘉永元年(1848年)に再建されたものです。本堂が完成したのは明治十九年のことでした。平成26年に新しく、現在の門徒会館が再建されました。

 

◆住職からのひと言

昨今の家族形態の変化に伴った、墓地継承の難しい門信徒の希望に応じて、こちらの合葬墓(共同納骨所)を建立いたしました。
墓標の「倶会一処」(ともに一つのところで会う)と、「同一念仏無別道故」(同一に念仏して別の道なきがゆえに)とは、南無阿弥陀仏のお念仏という同一の因によって、さまざまな人生を歩んできた者たちが等しくお浄土に迎え入れられることを願い刻んであります。

有縁無縁の方のお参りによって、この墓地が永遠にその働きを輝かせ続けることを願って。

 

※合葬墓の住所は、長野市三輪8丁目46−28にございます。寺院より車で3分ほどの場所です。

 

『安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし』( 親鸞「浄土和讃」)

 

◆康楽寺 お問合せ

寺院住所:〒380-0831
     長野県長野市東町163-1

合葬墓住所:長野市三輪8丁目46−28

電話:026-232-3098